華流映画コラム


 大人の恋と上海ノスタルジー。甘く切ない歌声に乗せて

 

花様年華 (かようねんか)

監督 ウォン・カーウアイ (王家衛)

 

 

 

 

 冷たい壁で隔てられた別々の小さな部屋の中。そこには寂しげな男、すすり泣く女の姿が見える。ラジオから聞こえてくるのは誕生日を祝うあのメロディー。ノスタルジックなイントロに続き、周センが細く高い声で切々と歌う「花様的年華」 が優しく、そして哀しく響く――。

 

 

花様的年華

(花のような年月)

 

月様的精神

(お月さまのような心)

 

氷雪様的聡明

(雪のような聡明さ)

 

美麗的生活

(美しい生活)

 

多情的眷属

(愛情深い家族)

 

圓満的家庭

(円満な家庭)

 

驀地裏這孤島籠罩著

(突然に、この孤島は)

 

惨霧愁雲,惨霧愁雲

(濃い霧と憂いで覆われた)

 

,可愛的祖国 

(ああ、愛する祖国よ)

 

幾時我能投進你的懐抱

いつになればあなたの胸に飛び込めるのでしょう)

 

能見那霧消雲散

(この霧が晴れるのでしょう)

 

重見你放出光明

(あなたが輝くのを再び見れるのでしょう)

 

花様的年華

(花のような年月)

 

月様的精神

(お月さまのような心)

日本語訳/茉莉花

 

 

「花様年華」(2000年公開)は90年代に日本でも大ヒットした「恋する惑星」のウォン・カーウアイ(王家衛)監督の作品。主演のトニー・レオン(梁朝偉)、マギー・チャン(張曼玉)の二人が、密やかで切ない大人の恋模様を抑制したトーンで情感豊かに演じている。トニー・レオンはカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した。

 

映画の舞台は1960年代の香港。上海人女性大家の経営する小さなアパートを舞台に、ヒロイン・チャン夫人(マギー・チャン)と夫、隣人のチャウ(トニー・レオン)とその妻が同日に越してくるところから、物語は展開していく。瀟洒な老上海風の調度品で飾られたリビングに集う住人たち、大家と夫人たちのにぎやかなおしゃべりでは上海語が聞こえてくる。艶やかなチーパオを着た女性たちは麻雀をしたりお茶を飲んだり、上海料理を作ったりして、上海式の生活スタイルを守りながら暮らしていたようだ。こうした上海移民の日常の様子は、自身も幼少時に両親に連れられて上海から香港へ移住してきた経験を持つウォン・カーウアイ監督自身の感傷を含み、甘美な映像と音楽とで懐古的に作品の中で描かれている。

 

 

隣人同士であるチャウとチャン夫人は、お互いのパートナーは共に出張で不在がちであり、一人で過ごす日が多い。アパートの廊下や近所の屋台で度々顔を合わせ挨拶をする程度だった二人はひょんなことから、お互いの夫と妻が不倫関係であるという衝撃的事実を知る。二人は寂しさや傷ついた心を紛らわすかのように度々会って食事をし、互いの身を嘆き合うようになる。やがて二人は小説を書くという共同作業を通じ「同士」のような関係へと変化、少しずつ心の距離を縮めていく。しかし、戸惑い、沈黙、すれ違い―。この繰り返しにより、密やかで臆病な二人の恋はもどかしく、遅々として進まない。

 

 

次々と着替えては登場するマギー・チャン演ずるチャン夫人は、女性の目にも官能的で美しい。抜群のプロポーションに艶やかなチーパオと品を纏い、身のこなしは奥ゆかしくも洗練されている。その姿はまるで、いつ夫が帰ってきても大丈夫なように・・・と待ちわびながら着飾っている女のようでもあり、美しくも孤独なヒロインと華やかな服のコントラストが虚しさを増幅させる。チャウを演じるトニー・レオンも寡黙で真面目な煮え切らない男の愛情と苦悩を、抑えた表情と背中で見事に演じている。

 

 

ところで余談ではあるが、本作品は不倫の恋を描いた映画でありながら、いわゆるラブシーンと呼ばれるものが一度も登場しない。台詞も登場人物も少なく、見せ場的な盛り上がりに欠けるためか男性ウケが今一つの向きもあるようだが、対して女性からは根強い人気を誇る。それは、ヒロインの境遇、悲しい恋への共感によるものだろう。劇中、ヒロインは「私を連れ去って!」と伝えるべく時折サインを発しているのだが、煮え切らない男の様子にもどかしさを感じたり、一線を越えられずに臆病なヒロインに自身を投影したりしながら、この切ない恋の物語に涙するのである。

 

酸いも甘いも、多くの恋愛を経験してきた大人の男女に。ひっそりと、鑑賞いただきたい。

 

 

文・写真/茉莉花 

イラスト/MameChang

 

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【周セン】

1930~1940年頃に活躍した中国の女優・歌手。「金ののど」と呼ばれた澄んだ美しい歌声と華やかな容姿で人気を博した。主演映画「馬路天使(街角の天使)」でデビュー、主題歌の「天涯歌女」などを歌いヒット。日中戦争や国内の政局で混沌とした時代の中、上海・香港で女優兼歌手として多くの作品で活躍した。周センが最初に歌ったという「何日君再来」は、渡辺はま子や李香蘭、テレサ・テンなど多くの歌手によって歌われ、時代の荒波にもまれながらも、海を越えて愛された一曲である。周センは1950年代に入り精神を病み療養生活を送り、1957年日本脳炎で死去した。