上海物語 Shanghai Stories

上海で紡がれた名もなき小さな物語たち


 

 

ウーさんの冬瓜スープ

 

 

 

ウーさんの冬瓜スープ 

 

 

寒くなるとウーさんがいつも作ってくれた冬瓜スープが食べたくなる。四角く大き目に切った冬瓜、スペアリブがごろごろと入った中国の家庭料理。冬瓜が手に入らない時は大根が入っている。娘と私が大好きなスープだ。

 

ウーさんは夫の仕事で上海に暮らした三年間、家事や娘の世話の手伝いをしてくれた通いの家政婦さんだ。素朴でほがらかで子供好きなウーさんは5歳の娘とすぐにうちとけ、私達の慣れない中国生活の強力な助っ人となり、やがて、信頼できる友人となった。料理上手の彼女はおいしい中国料理を作っては私達を喜ばせた。

 

 

 

 

底冷えする二月だった。

夫が出張で不在のその夜、めったに病気にならない娘が高熱を出した。一度は解熱剤を飲ませて様子を見たものの、体温は40度を越え、まだまだ上がる勢いだ。呼吸は荒く、うなされている。声をかけると体が痛いと訴える。朝まで待てない――。

真冬の真夜中の2時、異国の街。怖気づく自分を奮い立たせ、電話をかける。タクシーが到着すると、ぐったりとした娘を抱えて後部座席に乗り込み、行先を告げた。運転手はジェットコースターのように車を飛ばした。私は娘を強く抱き、窓越しに映る闇と眠る街を眺めた。ラジオから賑やかな、知らない中国語の歌が流れていた。

 

救急外来へ着くと、日本語を話す男性医師が待っていた。広くて清潔な部屋に私達を通し、丁寧な診察と検査の後、インフルエンザでは無さそうだと説明してくれた。そして、朝までここで休んでいくようにと言った。私は娘の傍らで点滴の針が刺さった小さな手を握ったまま、うとうとしては目覚めた。やがて窓の外が白み、電動スクーターのクラクションが通りに響き始めると、いつもの上海の朝が戻ってきた。娘の熱は平熱まで下がっていた。医師に礼を言い、タクシーで帰宅した。それから、昨夜の出来事をつたない中国語で記したメモをウーさんに残し、娘のベッドに潜り込むと泥のように眠った。

 

 

目が覚めると、寝室まで醤油とごま油の匂いが漂っていた。時計を見ると、もう午後4時だ。「ウーさん来た!」と娘が勢いよく体を起こした。二人してキッチンへ急ぐと、大鍋いっぱいの冬瓜スープ、水餃子、心配顔のウーさんが待っていた。

 

ウーさんが見守る中、娘と二人、黙々と食べた。豚骨の旨みが溶け出した黄金色のスープに豪快な冬瓜と肉塊がどんぶりの中で転がる。冬瓜はフウーッと吹いてから一口で、スペアリブは中国式に骨の両端を指で掴んでかぶりつく。昨晩から何も食べていなかったのだ。スープが喉を通ってじんわりと身体中を巡り、一晩の緊張を溶かしていくようだ。ウーさんと笑い合う娘を見つめ安堵しながら、長く孤独な夜の闘いを終えた自分が誇らしかった。

 

 

 

 

帰国して10年が経とうとしている。冬瓜のスープは上手く作れるようになったけれど、ウーさんのあの味は越えられない。一口食べれば懐かしい上海の日々、心細くて凍えそうなあの夜、あのスープの温もりが蘇る。もうもうと上る白い湯気の中響く包丁のリズム、ウーさんの笑い声が今も聞こえる。

 

 

 

ウーさんの冬瓜スープ(2020年)

 

文・写真/茉莉花 

イラスト/MameChang

 

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