上海物語 Shanghai Stories

上海で紡がれた名もなき小さな物語たち


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魔都上海のパリ・屋根裏カフェで見る儚い夢 

 

 

魔都のパリ・屋根裏カフェで見る儚い夢 ZEN Lifestore/ 鉦家居芸廊(徐家匯東平路)

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 地下鉄1号線・衡山路駅で下車して地上へ上がり、街路樹のプラタナスが緑々と続く道を歩く。国際礼拝堂を通り過ぎ、烏魯木斉路を越えてピンク色の洋館 「Sasha」の前まで来たら、そこは東平路ーー。この通りを含む旧フランス租界エリアには歴史を感じさせるふるい西洋風建築物と共に、洗練されたカフェやレストラン、バー、雑貨店などが点在し、異国情緒を醸し出している。

 上海のプチ・フランス、「非日常空間」とも言える旧フランス租界の一角にある東平路。ここには欧米調の洒落た店構えのレストランやショップが立ち並び、上海音楽院や蒋介石故居などの古い洋館の佇まいが歴史の面影とシックな趣を添えている。客や道ゆく人達は欧米人も多く、店のスタッフは英語を話す。人気のカフェやレストランに座ってぼんやりと店内と通りの様子を眺めていると、ここが中国であることを一瞬忘れてしまうほどだ。

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 夫の海外赴任で上海に暮らし始めた当初の私は中国生活に嫌気がさすと、旧フランス租界エリア、中でもこの東平路界隈にしばしば避難したものだった。『中国の香りがしない場所』ーーそれには欧米人、韓国人、日本人、多くの人種が集う無国籍な雰囲気が漂う場所、なるべく中国語が聞こえてこない場所がいい。まだ中国生活にも不慣れで必要最低限の中国語しか話せない。日常の随所で繰り出される中国式パンチのお見舞いにも疲れきっていた。素敵なモノ、可愛いモノに飢えていたとも言える。突然好きでもない、よく知らない場所に行けと言われて、自分の家も車も仕事も、友達に親兄弟、全て置き去りにしてきたのだから無理もない。ましてや「毒餃子事件」「毒ミルク事件」などブラックなニュースで賑わう最中、疑心暗鬼でスタートした上海生活だ。とにかく、傷ついた心を癒す場所と時間を求めていた。そして、そこには週末ともなると、『非・中国』の安らぎを求めて、同じ境遇の異郷暮らしの仲間が吸い寄せられるように集まってきた。

 

 この東平路の一角に『ZEN』という陶磁器ショップがある。中国の磁器というと誰もが景徳鎮や龍泉などを思い浮かべるが、ここは少々勝手が違う。カラフルな色づかいに花や鳥の描かれた大人可愛い「海派」風の上海レトロなデザインが特長的。茶壺(ポット)やカップ&ソーサー、茶葉保管用のキャニスターなど茶器の他に、洗面所に置くソープ皿や花瓶など、リーズナブルで日常的な品物が多く、ちょっとしたお土産にもよいアイテムが揃う。中国風でありながら洋風や和風インテリアとの相性もよく、使い勝手が良いデザインは上海在住の外国人客を魅了している。

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 この店の2階は屋根裏部屋のような小さなカフェになっている。1階のショップで販売するカップや家具をセンス良く配したこじんまりとした空間は、中国暮らしからの逃避行にはもってこいの隠れ家だ。子供を幼稚園へ送った後、いそいそと地下鉄に乗り、「魔都のパリ」へと向かう。ぶらぶらと街を放浪し、歩き疲れた足を休める。コーヒーの香りが漂う静寂の空間で、好きな本を読んだり、ぼんやりと考え事をする至福の時間!

 さて、つかの間パリでのプチ・バカンスを満喫した後、元来た通りを歩いて地下鉄駅へと戻る。押し合う人々、大きな中国語のしゃべり声に、一気に現実に引き戻される。  ワタシは今、中国で生きている――。小さくため息をつき、「さあ、がんばろう」と心の中で呟いてから、胸を張り、前を見据える。中国で暮らすには、ただ道を歩くだけでもスーパーで食品を買うにも、日本の3倍のエネルギー、飲み込まれそうな熱気に負けない強さが必要だ。無秩序なけたたましい人混みに飛び込んだ後は、振り返らず、止まらず、大股でどんどんかき分けて前へ前へと進んでいく。

 

 その後、中国語も流暢に、すっかり逞しさを身につけてしまった私にとって、今ではセンチメンタルな昔話だ。けれど、艶やかな茶壺で中国茶を入れるたびに、まだ初々しい新米駐在妻の自分、あの頃を思い出す。光降り注ぐ並木道を夢うつつ、軽微なホームシックと倦怠感との狭間で歩いた日々ーー。上海の街、人、喧騒さえも今は愛おしい。香りたつお茶と共に、甘くてほろ苦い記憶のかけらを反芻している。

 

「魔都のパリ・屋根裏カフェで見る儚い夢」

文・写真/茉莉花 (2016)

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