上海物語 Shanghai Stories

上海で紡がれた名もなき小さな物語たち


上海ピースホテルの夜

 

上海ピースホテルの夜 

 

 「タクシーが下で待っているよ、さあ、急いで」

 階下のガードマンからの知らせを受け、私は娘に靴を履くよう促してから家中の施錠を小走りで確認して回る。上海の住居は広く、玄関のインターホンまでもちょっとした距離だ。慌ててかけつけて受話器を取るころには、せっかちな中国人運転手や宅配便の配達員は立ち去ってしまうことも度々だった。

 20084月。夫の転勤に伴って、私たち家族は中国・上海市に暮らし始めた。浦東地区の日本人学校から徒歩5分ほどの距離にあり、緑に囲まれた国際色豊かで開放的な雰囲気が人気のサービスアパートメント。言葉もままならないままに突然始まった異国での育児生活は大変なことも多かったけれど、住居のフロントやガードマン、掃除婦、庭師といった大勢の気さくな中国人スタッフたち、運転手や家政婦、娘の家庭教師、そして世界のあちこちから集まった良き隣人と友人達にも恵まれ、にぎやかな上海生活を過ごした。

 32か月の月日が経過したその年の6月、私たち家族はいよいよ翌月に本帰国を控えていた。引っ越しの準備や挨拶で忙しい日々の隙間を縫うように、市内の観光スポットやレストランなどを訪れ、残り少ない上海生活を惜しんでいた。そんな最中のある日の、小さな出来事だった。

 

 その夜は外灘にある老舗のバーに数日前から予約を入れてあった。上海人ならずとも外国人居住者にも有名な和平飯店(ピースホテル)一階にある老舗のジャズバー。熟練のシニアプレイヤーたちが演奏するクラッシックで重厚な雰囲気漂うジャズライブハウスである。「いつでも行けるから」と思いながら訪れないままに時は過ぎ、日本へ帰る前に初体験をしようと企画した週末の家族イベント。8歳の娘も子供ながらにこの日を楽しみにしていたことだろう。

 慌ただしくタクシーに乗り込み、いざ、外灘へと向かう。疾走する車の窓枠の向こうにはメタリックな高層ビル群、商店の猥雑な原色の看板、小さな古い家々と突き出した竿にはためく洗濯物が早送りの映画フィルムのように次々と流れていく。東と西を地下で繋ぐトンネルへと勢いよく吸い込まれた車体は、SF映画で見たシャトルさながら真空管を疾走する。忽然と昔ながらの小区の街並みへ吐き出されたら、そのまま川沿いへと進めば、そこはもう外灘。オレンジ色の街灯が灯りだすマジックアワーの煌めく街、不思議な高揚感。ここは誰もが憧れる魔法のかけられた街、上海で一番ロマンチックな場所だ。

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 さて、近くの通りでタクシーを降りた。ホテルの中に入り店のほうへと歩いていくと、ライブの準備をしているのだろう、楽器の音が聞こえてきた。店へ入り受付で名前を告げる。女性店員が夫と私に向かって言った。

「お客様、大変申し訳ありません、お子様はご利用いただけません」
「ええ?予約したときに『子供が一緒だけど大丈夫?』と確認したじゃない。大丈夫だと言われたから、今、こうして来たのだけど……
「大変申し訳ありません。それは受付した者の間違いです。本当に申し訳ありません……

 大人たちのやりとりを傍らで聞いていた娘の表情がみるみる曇っていく。娘は三年間の中国生活で基本的な中国語は解するようになっていたし、この状況で察していたのだろう。我が子の気持ちを思うと可愛そうだが、いま店員の彼女を責めても意味がない。

「分かりました、ではまたの機会に……
そう言って、三人で店を後にした。
「残念だったね」
そう声をかけると娘の目から、ついに涙がこぼれた。
「コンサート、観たかった」
「そうだよね、観たかったよね。また違うときに連れて行ってあげるから――

 娘をなだめながら、ひとまずラウンジで一服してどこか他の店で食事を。私たちは店を出てすぐのホテル併設カフェへと移動し、娘にはオレンジジュース、大人にはグラスワインとビールを注文して座った。ふと、開演時間を過ぎたのだろう、軽快なジャズの音が聞こえてくる。

「あら、ここでも聞けるじゃない。よかったね!」  

私は一人、おおげさな調子の声を出した。やけに楽しげなジャズの調べが三人の間を流れていく――

 すると、そこへ、さっきの女性店員が小走りでやってきた。彼女は腰をかがめて娘に向き合うと、笑顔でこう言った。

「お嬢ちゃん、おいで!お店の入り口で観ていていいから。さ、早く!」
 事情が呑み込めずに両親の顔を交互に見る娘に向かって、私がもう一度繰り返した。

「入口のところでコンサートを見て大丈夫だって。行こうか?」

 娘はパッと顔を輝かせると椅子から飛び降り、店員と一緒に走っていく。私たち夫婦は目配せして、すぐに二人の背中を追いかけた。

 ドアの一歩向こうに入ったその瞬間、大きな音と人々の熱気に包まれた。光の当たったステージで品の良い老紳士たちが奏でる懐かしく温かなオールドジャズの旋律とリズム――。店員の彼女は娘の両肩に手を置いたまま耳元に何か話しかけると、娘はこくんと一度頷く。それから彼女は私たち夫婦に向かって一礼し、その場を離れた。私は会釈をし、夫はステージが見やすいようにと娘を抱き抱えた。娘はすっかり機嫌を直し、見よう見まねで手拍子を打ちながらステージに見入っている。

「ありがとう――
 私は心の中でつぶやいた。とっさに機転を利かせた彼女と店のスタッフに感謝し、この国の人たちの温かさを噛みしめた。そうして30分ほど入り口のドアの片隅で立ったまま演奏を楽しんだあと、私たちはそっと店を出た。

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 帰国して再び横浜へと戻った私たちは山下公園の目と鼻の先の場所に移り住んだ。横浜中華街に隣接し、外灘とどこか似たこの街が以前にもまして好きになった私は、時々、霧笛の響く夕暮れ時の山下公園で海の向こうをぼんやりと眺める。

 突然の夫の転勤で自分の仕事を諦め、訳もわからぬままやって来た上海。日本が恋しくなると一人で外灘に来ては川辺でぼんやり景色を眺めた。そして、川沿いの道をずっと歩いた。ときには人目も気にせず大声で歌いながら、ただ、まっすぐに歩いた。無遠慮にじろじろと見られても、時折り話しかけてくる人がいても、もう気にならなかった。色々な人がいてもいい、ほおっておいてくれる上海の自由さと懐の広さ、人との距離感が私には心地よかった。鳴り響く車のクラクション、電動バイクの音、大声で話す人々の声――。喧騒の街を泳ぎながら浦東の家に着くころには、いつもの自分に戻れた。私にとって、外灘散歩は一種のメディテーションだった。

 

 あれから、ちょうど7年が経った。彼女はまだ、あのジャズバーで働いているだろうか? 娘が二十歳になったら、またあの店へ行ってお酒で乾杯しよう。娘は細くて手足が長いから、チーパオが似合いそうだ。私は着物を着ようか? 二人しておしゃれして行くのも夜の外灘に似合って、素敵でいい。

 「ほら、南浦大橋と東方明名珠!」
 「……はいはい、ほんとだ(笑)」

 ベイブリッジとマリンタワーを交互に指さして言う私に、呆れて笑う娘も今は高校生だ。あの日の上海での思い出話を繰り返す私に根気よく付き合ってくれる。

夕暮れ時の山下公園はカモメとカップルでいっぱいだ。赤く染まった空とぼんやり霞む水平線を眺めながら、遠慮するようにベンチから離れた海側の端っこをゆっくりと、語らいながら二人歩く。

 「上海、向こうのほうかな。また行きたいな」

 海からの風に目を細めた娘が、長い腕をまっすぐに、遠く指さしてつぶやいた。

 黄浦江に反射する陸家嘴の街のカラフルなネオン、ゆるやかなカーブに沿って続く優雅な洋館の佇まい――。目を閉じれば、和平飯店(ピースホテル)の扉の向こうから聞こえる軽やかなリズムに合わせて、私の小さな夢も踊り始める。

 愛する上海、外灘。愛する上海の人たちに、いつかきっと、また会いに行く。

 

「上海・ピースホテルの夜」文・写真/茉莉花 (2018年)

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テキストと写真は私自身の手による著作物です。またイラストは私の娘の作品であり、その著作権は保護者である私の管理下にあります。無断使用をお断りします。